京都地方裁判所 昭和34年(ワ)928号 判決 1963年8月12日
理由
昭和三四年五月八日被告会社を代表する資格のない取締役の地位に在つた訴外服部保夫が代表取締役川本直水の記名押印のある金額金五〇万円その他手形要件原告主張の通り受取人欄は白地の約束手形一通を訴外池田繁一に交付してこれを振出した事実竝右手形の呈示と支払拒絶の事実以上は本件当事者間に争がない原告は右服部に手形振出の代理権があつたと主張し被告はこれなしと主張し抗争するので仍つてこの点について証拠を検するに、被告会社は京都府下亀岡市に本店を有し清流保津川の水域を舞台として観光、旅館料理、土産物販売等の各種事業を目的としその企業の抑々この発端としてはその昔服部保夫の父親の創始した個人企業に始まりその後京都市に本店を有する俗称「京聯」というタクシー会社の系列下にはいつたものであるがその社長訴外川本直水は右個人企業が株式会社として組織されてからも訴外服部保夫のその立場を重視し且自らは被告会社の代表取締役でありその実力者ではあるが「京聯」その他その系列会社の経営者の立場にあるその身の都合から到底亀岡市に常勤できないとの事情もあつて訴外服部保夫を昭和二八年頃から取締役となし社内事務万般の決済に衝らしめると共に対外代表事務については川本直水の記名の印とその職務印とを服部に渡してこれを保管使用させていたものと認められるところ他方において本件手形振出前の昭和三二年頃から対外代表事務中あらたな資金借入のための消費貸借や他から手形割引を受くる行為等については事前に京都市在住在勤の社長川本直水の決済を受けよとの指示をしてあつたところ、訴外服部保夫はこの決済を受けないで敢て本件手形振出に及んだものであること尚右の指示は事柄の指示として第三者には幾分不正確と受取らるべき性格を持つものと認められ例えば取引上の債務の支払やその担保のため手形を振出すことには川本の決済を要せざるべきにあらたに金員調達のため手形を振出についてはこれを要するとの趣旨に帰着し川本直水と服部保夫との間にはその実践遵守がこと容易であつたにしてもこれを代理権の範囲の問題とすれば或いは第三者にとつては甚だしい混乱をも往々にして避け難かるべき類のものであつたと認められると共に尚その遵守についての川本の要請とても被告会社の勤務者の中に未だあまり明確強度には徹底して居らず比諭的にこれを表現すれば川本直水の意向を成るべく理解しようと努むる者にのみ理解し遵守せらるる底の俗にいう内訓類以のものと認められ対外関係にこれを持ち出して不知の第三者にその指示の効力を押しつけるにしてはあまりにその内容が正確さを欠くものと認められるので仍つて当裁判所は結局服部の代理権はその範囲自体に制限があつたのではなく或る種の行為について代理権行使の方法に制約があつたものそして服部はこの制約を犯して本件手形振出に及んだものと認め服部の本件代理権行使の形式を無条件に適法と主張する原告のその主張も被告の主張する服部の無権代理のその主張も共にこれを採らない再言すれば事の真相と正しいその評価は当に右両者のその中間に存し服部の本件代理権行使は代理権行使の方法上の制約のその違反の問題として吟味すべきものと断ずる次第である。
進んで代理人の代理行為が無権代理ではなくて代理権行使の方法に関して代理制度に固有な瑕疵があつたとき因つてなされた当該代理行為の効果の問題特に手形原因行為(例えば売買)に因つてなさるる手形行為とのその各々について行為の効力を論断するにつき同一の私法法則が適用されるべきものなりや将又異別に論ぜらるべきやに就いて当裁判所は次の如く理解する先づ代理権行使の方法における瑕疵(これを総称して茲に仮に不完全代理とこれを呼び以て無権代理と区別しようと考える)の類型を按ずるにその内第一に想起せらるるは民法第一〇八条や商法第七五条や第二六五条違反の行為であるこれ等の場合に代理人代表者は代理権代表権そのものに制限を受けているのではなくて代理人が自己を相手方とする本人の行為について本人を代理し乍らその行為の実質内容を自ら決定した点にその方法上の瑕疵があり若しその決定を本人自身がしたような場合には双方代理と雖何等効力上の問題はない筈である又合名会社では社員総会の決議があり株式会社では取締役会の決議があつてこれにより行為の実質内容が決定せられ代表社員や代表取締役が行為の実質を自ら定めたものでないならば双方代理と雖効力上の問題は生じないさればこれ等の規定の違背とは畢境代理権や代表権の範囲について問題があるのではなく代理代表のその方法上の瑕疵即ち前叙不完全代理の一場合に属する第二に想起せらるべき不完全代理は支配人の代理権や合名会社合資会社の代表社員株式会社の代表取締役公益法人の代表理事の各代表権につきその行使の方法に制約がありその制約が無視された場合のその代理乃至代表(商法第三八条第二項第七八条第二項第一四七条第二六一条第二項民法第五四条)第三には本件手形振出における如く委任による代理の場合の代理権の行使の方法に制約があるに拘らずこれを無視してなされた代理行為第四には法人の代表者の行為が法人の目的に反するとされる場合第五には代表者又は代理人の行為の動機が事実上当該法人又は本人の利益を図るためではなくして自己又は法人若しくは本人以外の第三者の利益を図るに在つたとされる場合等であろう。
問題とされるべきはこれら一連の不完全代理又は代表のその効力の判断について手形原因たる行為と手形行為とに同一法則が適用さるべきか否かである被告訴訟代理人は訴外服部保夫が被告会社代表取締役川本直水の事前の決裁を受くべきに抜らずこれを履践せずしてなした本件手形振出行為のその効果を論議するに当つて手形原因たる例えば消費貸借契約や手形割引契約に係る場合とその結果乃至手段としてなされる手形振出行為に係る場合とにつき各適用せらるべき法則に差別の存することには全く無関心の儘事を論ずるのでその当否を茲に吟味するを要するところさしあたりその手懸りとして無権代理について民法第一一三条所定の本人の追認というものを吟味することにしよう民法第一一三条以下の規定を熟々考察するに無権代理に関する本人の追認権は相手方にとつては一面には詢に利益であるが又一面からすれば甚だ迷惑なものでその迷惑とは畢境本人が追認することにより行為が完全に有効なものとなるかそれとも追認権の放棄によつて本人に対する関係において無効に確定するかが未だその熟れとも決し難い中間に効力上の浮動状態を伴わざるを得ないことを指す蓋し効力が未だかく浮動状態に在る間は相手方は民法第一一七条による無権代理人の責任をも追及出来ずさりとて本人の責任を追及することも出来ない全く宙ぶらりんの状態に曝らされざるを得ないものなるところ手形原因行為特にそれが契約と称せらるる類型の行為についてはこれ亦已むを得ぬものとするも手形行為についてはかかる浮動性が手形のその性質と果して相容るるか、手形行為については本人の追認の可能性を顧慮することなく直ちに代理人の責任追及に移行し得るとなす手形法第八条はこの点についてその構造が民法第一一七条のそれとは異なつていることに人は注目しなければならないのであるそしてその所以のものは手形行為については本人の追認ということに必然につきまとう効力の浮動性ということが手形行為のその性格と氷炭相容れないその必然の結果であると解し得べくされば無権代理の手形行為については本人の追認というごときものはあり得ないものと解せざるを得ぬのであるこれを民法第一一三条以下の成文の形式に徴するも民法契約についての無権代理の追認(民法第一一三条以下)と単独行為についての無権代理についての追認とを区別するのであるが然らは手形振出は右の契約と称すべきものであるか将又単独行為と解すべきものであろうか斯くて無権代理の追認とは所詮は手形原因たるべき行為(実質行為)を処理する方法たるに留まり手形行為(手段行為)そのものに本人の追認ということはあり得ずかかる無権代理の手形行為は本人に対する関係においては即時無効に確定し片や代理人に対する関係においては即時その者のために効力を生ずるのであつて手形行為に関する限りは本人の追認の制度にてんめんする効力上の浮動状態を生ずる余地とては全くないものに仕組まれているものとせねばなるまい若し夫れ手形法第八条により無権代理人がその手形行為の責任を負わされたるその後に無権代現の手形原因行為について本人の追認があり代理人は民法第一一七条の責を問われないことに確定したときには代理人は右手形法第八条によつて負わされた手形上の責任については手形原因欠缺の人的抗弁又は悪意の抗弁を提出して防衛し得るだろう手形行為については私法一般の代現の規定がそのままには適用し得ざるべき第二の例証として一般に代理行為には本人の何人であるかを示すべしとする要請とその例外に関する民法第一〇〇条又は商法第五〇四条の規定があろう本人の何人であるかを示さない手形行為が一定の条件の下に或いは無条件に本人に対し効力を生ずるなぞということは手形行為のその性質要請に全く適合せず延てこれら民商法の規定は手形原因行為たる代現行為にのみ適用せられ手形行為に関してはその適用なく即時無条件に代理人のための行為としての効力を生ずるものとなすべくその例外はあり得ぬ。然し手形原因行為についてはもとよりこれ等の規定が適用さるべくその結果として時に代理人は手形原因欠缺についての人的抗弁又は悪意の抗弁を提出して防衛し得るであろう手形原因行為と手形行為とによつて人は民商法一般の規定の適用範囲を規定毎に分別して考察せねばならないこと叙上の如くであつてこの考察の熊度は双方代理に関する民法第一〇八条乃至その系列に属する民商法の諸規定についても将又支配人合名会社の代表社員株式会社の代表取締役乃至公益法人の理事の代理権代表権に加えた制約違反の行為についての民法第五四条商法第七八条第二六一条等についてもこれらは手形行為について迄もそのまま無条件に適用せらるべきものとは到底解し難いところである。
叙上の法解釈の原理の下に本件事案に立帰つてこれを評価せんに前叙認定の如く訴外服部保夫は訴外川本直水より一定の行為については事前に右川本直水の決裁を経てなすべき旨指示されて居乍ら敢てこれに反して本件手形振出に及んだものであるしそしてこれについて事実上の手形受取人たる訴外池田繁一が当時被告主張の如くこの点について悪意だつたとした場合にその代理行為の効力如何というにこれ亦前叙の如く矢張り実質行為即服部と池田との間になされた手形割引契約或いは金銭消費貸借そのものについてのそれとその手段行為即本件の手形振出そのものについてのそれとは各々独自の法則に従つて各価値判断をなすを相当とすべくこの点被告訴訟代理人のこの点に関する無差別の見解は手形法第一七条を強て無視するものと謂わざるを得ぬ詳言すればよしや訴外池田繁一の悪意と相俟つて訴外服部保夫池田繁一間の右手形振出の原因行為(消費貸借契約或いは手形割引取引等)それ自体についてはその効力を云云すべきものありとするもよつてなされたその手段乃至その結果としての本件服部の手形振出そのものの効力には瑕瑾を生ずるものではなく唯被告会社はかかる池田繁一そのものには原因欠缺の人的抗弁を又悪意の被裏書人には悪意の抗弁をそれ夫れ提出し得るに止まるものとしなければならない。
以上説示の如くであるので訴外服部保夫の本件手形振出は訴外川本直水の指示した代理権行使の方法に関する制約に反しつつもそして仮令手形の事実上の受取人たる訴外池田繁一が当時その点につき善意なりしと否とはこれを敢て問うことなくして到底これを無効とはなし得ず時に唯被告の抗弁事由となる場合あり得るに過ぎないものなるところ訴外池田繁一から訴外栄屋株式会社を経て原告が本件手形を取得するに至つたことについては被告は明らかにこれを争わず自白したものと断ずべく原告の手形取得に際しての前叙の点に関す善意の点についても被告の敢て争わざるところと認められるその善意についての過失を被告は主張するが若し善意についての過失が悪意同様に抗弁事由となり得ると解するとするも原告にこの点につき過失ありたりとする立証が被告にないのでこれ亦採用に値するところではない。
次に被告は訴外服部保夫の本件手形振出の動機を非難し延てその効力に障碍を生ずる旨主張するところ(証拠)をあわせて事態を考察すれば被告主張の如く服部保夫の右手形振出は同人が当時神官として奉職していた丹波一の宮の訴外出雲大神宮の所有する大漁金山開発のその資金又は同神宮の鳥居を造築するその費用を調達せんためになされたものであると認められるところ服部保夫の考えとしては被告会社の営業地域たる保津川の山水は抑々出雲大神宮の鎮座し守護し給うところであるので保津川によつて生きる被告会社は出雲大神宮の繁栄によつてこそ始めてこれと共に繁栄出来るので出雲大神宮の所要経費と被告会社の事業経費とには直接間接の差こそあれ窮局のところ質的区別はあり得ないと考えたものと認められるのであるがかかる服部の企業観が訴外川本直水等のそれとどの程度に一致しどの程度に一致せないものなのかの点はこれを断ずるに足るべき資料がないので敢てこれを断ずる由もないが仮に服部のかかる観点に立脚しかかる動機に出づる代理行為は余人から見れば結局は現実性のある特定の営利事業を営む被告会社にとつてはその代理行為としては全く縁もゆかりもないもので一宮大神宮という別人格の利益の追及にのみ寄与したものでその代理行為は相手方池田繁一のその点の悪意と相俟つて効力に何等かの瑕瑾を生ぜずしては已まないものなりと断ずべきものであると仮定するも前説示の如くかかる実質的な価値判断は常に手形原因行為たる服部池田間の金銭消費貸借契約乃至手形割引契約のその価値判断にのみ妥当しこれを手段性の手形行為の価値判断に迄発展せしめて善意の被裏書人を害しても已むなしとするは手形法第一七条の確立する手形流通の確保の大道に敢て立塞がろうとするの企図たるに帰し法解釈の正道に在るものとは到底なし得ぬ仍つて被告において特にその悪意について立証するところなき原告の本訴請求についてはこの事情の存在も亦何等その請求にとつて妨害とはならないものと断ずる。